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東京高等裁判所 昭和31年(行ナ)4号 判決

原告 蛇の目ミシン工業株式会社

被告 松橋常夫

主文

昭和二十六年抗告審判第五七七号事件について、特許庁が昭和三十一年三月一日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めると申し立てた。

第二請求の原因

原告代理人は、請求の原因として、次のように述べた。

一、原告は、登録第二七〇、五六五号商標の商標権者で、右商標は、別紙図面記載のような構成からなり、第十七類裁縫機を指定商品とするものであるが、被告は昭和二十五年十二月十九日、商品「ミシン」に使用する別紙「イ」号標章は、原告の有する右登録第二七〇、五六五号商標の権利の範囲に属しない旨の確認審判を求めたところ(昭和二十五年審判第一七五号事件)、特許庁は、昭和二十六年六月二十五日被告の請求を認容し、「イ」号標章は、右登録商標の権利の範囲に属しない旨の審決をなした。原告は同年八月一日右審決に対して抗告審判の請求をしたが(昭和二十六年抗告審判第五七七号事件)、特許庁は、昭和三十一年三月一日原告の抗告審判の請求は成り立たない旨の審決をなし、その謄本は、同月二十日原告に送達された。

二、原告は、被告の確認審判の請求に対し、被告は「イ」号標章を、過去現在を通じて、ミシンの標章として使用したことがないから、「イ」号標章について、確認審判の請求をする利害関係がないと主張したが、審決は、この点について、証拠を挙示し、「これによれば被告は、ミシンの製造販売業者であり、『イ』号標章を付した商品ミシンを取り扱つており、将来においてもこれを製造販売する意思があることを認めることができるから、右確認審判を請求することができる利害関係人である。」とし、次で本案について、大要次のように判断している。すなわち、「『イ』号標章は、藤輪(藤輪紋における花の部分を、逆に配置して現わしている。)の図柄を太輪内に描出してなるものであり、この組合せ図形中太輪の図を、それ自体分離して単独のもので現わせば格別であるが、この程度の太輪を輪廓とするときは、単なる普通の輪廓として一般に認識せられるものであるから、当該太輪を輪廓とした部分については、『蛇の目』とはいい得ないものである。従つて『イ』号標章は、藤輪の図柄を要部とし、これを囲むために太輪の輪廓をこれに配置したものというを相当とし、『ふじわまる』または『まるふじわ』或は単に『ふじわ』と称呼するを取引上の自然とし、かつ藤輪と円廓(又は太輪廓)の組合せよりなる観念を生ずる。しかるに原告の登録商標は、『蛇の目』の称呼及び観念を生ずるものであり、『蛇の目』は社会通念上単なる円形又は輪廓とは認識するものでないことは顕著であるから、両者は称呼上及び観念上明らかに差違がある。また外観上においても、明確に区別し得る相違がある。従つて『イ』号標章を『商品ミシン』に使用しても、原告の登録商標とは、取引上誤認混同を生ずる虞がないから、『イ』号標章は、本件登録商標の権利範囲に属しない。」としている。

三、しかしながら、審決は、次の点において違法であつて、取り消されるべきものである。

(一)  先ず確認審判請求の利害関係について、被告は、東京都台東区竹町八番地にその住所を有し、同所において、「イ」号標章を使用して、営業をなしている旨主張するが、この場所は、ミシンの塗装、販売を目的とする「藤蛇の目ミシン株式会社」という訴外の法人が設立、存在している場所であつて、被告は同会社の代表取締役である。商法上代表取締役には競業避止義務があるから、法人の代表取締役である被告が、右会社の所在地において、独立して、右会社と同一の営業をするようなことは許されないことであるし、事実また被告自身は「イ」号標章を使用してミシンの製造販売業を営んでいるものでもない。しかも原告自身も、被告に対し、本件登録商標を以て対抗するとの通告をした事実もないから、どのみちからしても被告は原告に対し、本件の確認審判を求める法律上の利益がない。

(二)  次に本案について、審決は、原告の登録商標及び「イ」号標章の構成の認定を誤まつている。

すなわち原告の登録商標は、肉太にあらわされた円形図形であつて、原告によつて永年の間、独占的に商品ミシンについて使用せられて来た結果、今日においては、当業者間及びミシンを愛好するあらゆる階層の間において普及徹底し、わが国の代表的ミシンの商標として顕著著名のものとなつている。従つて今日において、商品ミシンについて円形図形が肉太であると否とを問わず、円形図形をみるや、ただちに原告会社を想起するか、又は原告会社と何等かの関連のある商標であると誤認を生ぜしめるおそれのあるにいたつていることは、著名商標に共通する一般的性格であるから、まず、本件登録商標については、このことを考慮しなければならない。一方、「イ」号標章は、次の二つの構成資料から成り立つている。その一は、円形図形は決して単なる線をもつてあらわした円輪ではなく、肉太に鮮明に他を圧倒して描出されている円形図形である。その二は、円輪中にあらわされている図形は、一見してその性質を判別し難いものでさながら婦人のネツクレスを模写したものと直観し得る図形で、そのためこの図形の意味は一見して不明であり全体の構成上著るしく稀薄な観念を生ぜしめるに過ぎない。

以上のような全体の構成から「イ」号標章を考察すると、一見して明らかなとおり肉太の円形図形が顕著であつて、その内部のネツクレス風の図形は二義的な役割しか果さないから、もしこの図形と比較される商標が著名商標であると、直ちに同一の出所から出た商品の商標であるか、または何等かの関連があるかの如く混同と誤信を生ぜしめるおそれがあることは明白である。

審決は、「イ」号標章の、このネツクレス風の図形を以て、紋章学上の「藤の紋」であるというのであるが、この認定は非常に危険な考え方に立脚している。すなわち商標が紋章と関係のある場合もあるけれども、それはそのような紋章が、わが国の商品市場において、商品の取引者、需要者が普通の常識としてこれを知つており、そうした紋章が特定の発音をのみ有するということが、商品取引の常用語となつている場合にのみ、紋章が商標として、紋章それ自体の発音なり意味なりを保持し得るに止まる。しかるに本件について、まず「イ」号標章を使用すべき商品はミシンであつて、商品ミシンの取引者、需要者の階層は非常に広く、ことにわが国古来の伝承なり、紋章なりについての知識に、それほどの興味を有していない青年婦人の圧倒的多数が需要者層であることを考えると、「イ」号標章を一見して、すべての人々が、何等の躊躇もなく、これを藤の紋章であると理解し、これを円形図形と不可分一体の関係において「ふじわまる」、「まるふじわ」、「ふじわ」の称呼によつてこれを呼ぶことを期待しても、かかる期待に応えることは、殆んど不可能といわなければならない。審決は、意識的にこの藤の紋の紋章を強調しようとし、前記の事情を無視し、何等かの予断を先行せしめ、判断に及んでいる。

(三)  審決は、更に、これら商標を使用すべき商品についての取引事情を無視している。すなわち商品「ミシン」については、取引上これに使用すべき商標が不確かであつたり、称呼が二様にも三様にも生ずるようなものが避けられ、例えば三菱ミシン、バインミシン、福助ミシン、ブラザーミシン等の諸例を挙げるまでもなく、特定の称呼のある商標が選択され、使用されることが、その取引の実情である。

そこでは被告はいかなる事情で、「イ」号標章のような商標を選んだのであろう。被告は、原告の著名商標のもつている信用力を利用するために、「ふじじやのめ」、「藤蛇の目」の商標を採択したものであり、「イ」号標章を選定したことも、同一の企図に帰するものと推断されなければならない。

「イ」号標章と本件登録商標との相互関係は、被告における上記のような積極的意図を前提として考慮すべきであり、この点からしても、両者は誤信、誤認の関係にあることは明白である。

さらに「イ」号標章は、商品ミシンに使用せられるものであるとともに、ミシンの各部が使用の対象となるものであるが、ミシンの各部は細小の部分からなるものであるから、「イ」号標章の極少の技巧的な線の配列の如きは姿を失い、結局肉の円形図形のみが顕著に浮彫りされて、取引上これと相対的関係に立つ著名商標とは一見して混同するか、またはまぎらわしい現象が生ずる。

第三被告の答弁

原告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、原告主張の請求原因に対して、次のように述べた。

一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、これを認める。

二、同三の主張は、これを否認する。

(一)  被告が東京都台東区竹町八番地に住所を有していること及び、同所を本店所在地とし、ミシンの塗装、販売を目的とする訴外藤蛇の目ミシン株式会社が設立され、被告が同会社の代表取締役であることは認めるが、商法上取締役の競業避止義務は、単に取締役の不作為義務を規定したものであり、しかも一定の手続を経れば、取締役の競業も決して不可能ではない。商法上右のような規定があるからといつて、被告が前記の場所においてミシンの製造販売業を営まないとの原告の主張は、明らかに飛躍した議論である。

(二)  本案について、先ず原告の本件登録商標は、中央部に円形の小空洞のある円板図形といつた方が真実である。「太輪」と「蛇の目」とは全く別異のものであつて、古来別個の紋として取り扱われており、前記登録商標と、「イ」号標章とは、混同誤認の余地は全くない。

一方「イ」号標章は、太輪の中に藤輪の図形を結合して構成されているものであるから、単なる「蛇の目」の紋を表示してなる原告の登録商標とは、外観、観念のいずれの点からも、少しも類似するところはない。原告は「イ」号標章は、外にある太輪が顕著であつて、内部の藤輪は二義的役割しか果さないと主張するが、何を根拠にかかる主張を敢てするか理解に苦しむ。内部にある藤輪の図形こそ、すこぶる顕著に表現されている。

「イ」号標章の藤輪の図形は、古来「藤の紋」として通用して来たものである。原告は紋章と商標との関係について云々しているが、右「イ」号標章と、原告の登録商標との間においては、紋章についてあまり知識のない人々にとつても、その差異は全く明白であつて、原告の主張は全く当らない。「イ」号標章を見る一般人が一見して、これを「蛇の目」と見誤ることは絶対にない。

(三)  最後に原告は商品ミシンの取引事情及び被告の本件標章採択の意図等について述べているが、本件においては「イ」号標章と原告の登録商標との間の異同について純粋に考慮すべき事案であつて、右原告主張の事実の如きは、これと何等の関係もない事情である。更に被告の、「積極的企図」について、原告の主張のような事実を否認する。

第四証拠〈省略〉

理由

一、原告主張の請求原因一及び二の各事実は、当事者間に争がない。

二、よつて先ず被告が、「イ」号標章が原告の有する登録第二七〇五六五号商標の権利の範囲に属しない旨の確認審判を請求する利害関係を有するかどうかを判断するに、被告本人尋問の結果によれば、被告は訴外藤蛇の目ミシン株式会社の代表取締役であつて、同会社が製造するミシンの販売業を営んでおり、該ミシンには、同会社の商標である「イ」号標章が使用されているものであることが認められる。原告は商法上取締役の競業避止義務の規定を引いて、被告がミシンの販売業を営むものでないことを主張するが、取締役も、株主総会の認許を受ければ、適法に会社の営業の部類に属する取引をすることができるばかりでなく、右の規定は、事実上被告がミシンの販売業を営んでいるとの事実の認定を妨げるものではない。

してみれば、被告はその販売する商品ミシンについて使用される「イ」号標章が、原告の有する登録商標の権利の範囲に属するかどうかについて確認の審判を請求する利害関係を有するものであることは疑なく、この点について審決には、原告の主張するような違法はない。

三、次いで本案に入つて審理するに、前記一の当事者間に争のない事実と、その成立に争のない甲第一号証及び証人奥村亘三木織部の各証言とを総合すると、原告の本件登録商標は、別紙記載のように、二重の同心円の第一の円周と第二の円周との間を塗り潰した図形によつて構成され、「蛇の目」印と呼ばれておるものであるが、原告会社は、わが国における最も古い国産のミシン製造会社であり、また現にわが国における有数のミシン製造販売会社として、数十年前から本件商標をその製造販売するミシンに使用しており、今や右登録商標は、原告蛇の目ミシン工業株式会社の製品ミシンを表わすものとして、取引業者及び顧客の間に広く知られておるものであることを認めることができる。

一方「イ」号標章は、別紙記載のように、塗り潰された太い円形の輪廓と、これと同心円状をなす、藤の花を図案化した輪の図形によつて構成されたものであり、これが「蛇の目藤」の紋章に由来するものであることは、被告本人が供述するところである。

両者は、右のように、いずれも「蛇の目」すなわち二重の同心円を構成の基本とするものであるから、後者はよしその内部の円が、前述のように藤の輪であつたとしても、この標章を使用したミシンを見る世人は、これを広く知られた原告の登録商標「蛇の目」印と見ちがえ、思いちがえするものが決して少なくないと解せられる。

してみれば、後者「イ」号標章は、その外観、観念において、前者すなわち原告の本件登録商標と極めてまぎれ易いものであつて、前者の権利の範囲に属するものと解するを相当とする。

四、被告は登録商標の権利の範囲は、商品の取引事情等とは関係なく、「イ」号標章と登録商標との間の異同について純粋に考慮すべきものであると主張するが、商標は、取引において、その商品が自己の製造、販売等の営業にかかるものであることを表彰するために使用するものであるから、商標の類否の判定の如きも、取引の実情を離れては、これを考察すべきではなく、従つて登録商標の権利の範囲の確認は、その商品の取引の実情において、果してこれが取引者又は需要者の間に、混同誤認を引きおこす虞があるかどうかによつて決定すべきものと解するのが相当であつて、右被告の主張は、採用することができない。

五、以上の理由により、「イ」号標章が原告の登録商標の権利の範囲に属しないとした審決は違法であつて取消を免れない。

よつて原告の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のように判決した。

(裁判官 内田護文 原増司 入山実)

原告の登録第270565号商標〈省略〉

被告のイ号標章〈省略〉

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